2012年05月08日

5・20研究シンポジウム

橋下現象とポピュリズム

 現代日本の市民社会において橋下徹大阪市長の存在は無視できない。その評価は別にして、今後の政治状況のなかでその意義はさらに大きく問われることになるだろう。この橋下現象について考えるためには、大阪維新の会といった組織や大阪都構想のような政策の問題に限らず、橋本氏のメディアでの発言方法なども
含めたその政治手法まで広く論じる必要がある。またこうした地方政治におけるポピュリズム現象は石原慎太郎東京都知事や河村たかし名古屋市長の政策や手法とも重なる部分が多い。
 そこで今回の研究シンポジウムでは、日本政治におけるポピュリズムに関してもっとも積極的に研究、発言してきた山口二郎氏を講師に迎え、多角的に考察したい。『ハシズムを許すな!』(ビジネス社、共著)や『ポピュリズムへの反撃』(角川oneテーマ21新書)といった著書がある同氏による基本問題の確認のあと、フロアとの質疑応答に多くの時間を割く予定である。

報告者:山口二郎(北海道大学教授)
司 会:越智敏夫(新潟国際情報大学)
日 時:2012年5月20日(日)14:00〜16:00
会 場:大阪経済法科大学 東京麻布台セミナーハウス 大研修室
    〒106-0041 東京都港区麻布台1-11-5
    TEL 03-3582-2922
    
※前回と異なる会場です。ご注意ください。


参加費:一般1000円 大学生500円 高校生以下無料

問い合わせ:市民文化フォーラム
      URL http://www.cc-forum.org/
      TEL 045-317-3325
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2012年01月08日

1月22日 12.8研究シンポジウム開催

市民文化フォーラム12・8 研究シンポジウム

1941→2011
――文学と戦争――


アジア・太平洋戦争開戦から70 年。この間、私たちは戦争をいかに記憶し、表象してきたか。満州移民、沖縄戦、戦後責任の問題などに文学を通して向き合おうとする若手研究者の報告を、文学者・小森陽一氏が総括し、歴史的に位置づける。現在の問題も含め、幅広い議論を展開する場としたい。

〈パネリスト〉
神子島 健(東京大学教員)
安 志那(東京大学大学院生)
村上陽子(東京大学大学院生)
小森陽一(東京大学教員・ 市民文化フォーラム共同代表)

日時 2012 年1月22 日(日)
   14時00分〜17時00分

場所 日本教育会館8階 807 号室
   〈住所・東京都千代田区一ツ橋2-6-2〉

参加費 500 円/高校生以下無料
地下鉄「新宿線」「半蔵門線」神保町駅(A1出口)歩3分、「三田線」/神保町駅(A1出口)歩5分

市民文化フォーラム
〈代表・市野川容孝、内海愛子、小森陽一〉

東京都千代田区神田神保町2-20 第2富士ビル 
042-422-2547 / 045-317-3325 
HP www.cc-forum.org/ Mail infomail815@cc-forum.org
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2011年08月01日

第47回 市民文化フォーラム8・15集会

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第47回 市民文化フォーラム8・15集会
脱原発宣言
文明の転換点に立って
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安全神話の崩壊から、得たものは何か――

■ 福島第一原発事故は未だに終息の目途が立っていません。泥縄式の事故対応や発表される情報の曖昧さにも目を覆うばかりです。一方で、この原発事故の影響は大きくドイツ、スイス、イタリアはすでに原発廃止を決めました。
■ もはや東電や政府の発表を、私たちも世界も信用していないのが現実です。原発に限らず、現代社会はブラックボックスだらけではないでしょうか。情報が氾濫する中で、私たち市民はどの情報を信頼し、何を選択したらいいのか、とまどうばかりです。
■ 3 カ月前までまかり通っていた「原発安全神話」と66 年前までこの国を支配していた「皇国不敗神話」は、同じ構造ではないのかと見まがうばかりです。神話が崩壊してみると、空虚と悲惨だけが露呈し、その原因は「ムラ」の幹部にあることは明らかです。これでは侵略に走った戦前の反省がまったく生かされていません。
■ こういう“危うい社会” に生きている私たちは、今何を考え、何に気がつかなければならないのでしょうか。進行中の転換期を生きる知恵を、共に考えたいと思っています。ご参加下さい。


〈問題提起〉
     高橋哲哉(東京大学)
     小泉好延(市民エネルギー研究所)

〈発言〉内海愛子(大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター)
     市野川容孝(東京大学)

〈司会〉小森洋一(東京大学)

日 時 2011 年8月15 日
    13 時30 分〜 16 時30 分

場 所 日本教育会館8階 第1会議室
    〈住所・東京都千代田区一ツ橋2-6-2〉 
地下鉄「新宿線」「半蔵門線」神保町駅(A1出口)徒歩3分 、
「三田線」神保町駅(A1出口)徒歩5分 、
「東西線」竹橋駅(北の丸公園側出口)徒歩5分

参加費 一 般 1000 円 大学生 500 円 高校生以下無料


協賛 子どもはお国のためにあるんじゃない市民連絡会

市民文化フォーラム〈代表・市野川容孝、内海愛子、小森陽一〉
千代田区神田神保町2-20 第2富士ビル TEl042-422-2547 / 045-317-3325 
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2011年05月15日

市民文化フォーラム6月研究シンポジウム 原発震災と市民 6月4日

原発震災と市民
福島第一原発事故から何を学ぶか


菅井益郎(国学院大学・市民エネルギー研究所)
「福島原発報告―過去の公害の歴史から学ぶ」
新藤宗幸(東京市政調査会)
「復興と情報公開問題」
・・・他、現地報告を予定

 3月11日午後に岩手・宮城・福島など東日本を襲った過去最大級の地震と津波は、死者・行方不明者が2万人を超え、復旧は遅々としています。
 加えて福島第一原発事故は現地の住民のみならず、日本全体を混乱に陥れ2カ月経た今なお避難解除の見通しは立っていません。「原発安全」 は神話でしかないことを世界中に見せつけました。
 原発事故は国・東電の言う 「想定外」 という言葉では済まされない 「人災」 です。それは国策として推進してきたエネルギー政策の破綻を意味しています。
 今回の原発震災から私たちは何を学ぶのか。また、いま何を考えるべきなのか、何ができるのか。
 40年間原発反対運動を続けている菅井益郎氏、常に自治の観点から発言をしてきた新藤宗幸氏を招き、皆さんと一緒に双方向の討論をしましょう。ご参加下さい。


日時:  2011年6月4日(土) 14:00〜16:30 開場 13:30
場所:日本教育会館702号室
(東京都千代田区一ツ橋2−6−2)
地図←はこちら)
TEL 道案内専用電話 03‐3230‐2833
参加費 一般1000円/学生500円
(高校生以下無料)

問い合わせ:市民文化フォーラム
TEL 045-317-3325
主催 市民文化フォーラム(共同代表 市野川容孝・ 内海愛子・小森陽一)
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2010年12月17日

2010年 12 ・8 研究シンポジウム 変貌する東北アジア、北朝鮮、中国そして日本

市民文化フォーラム12 ・8 研究シンポジウム

変貌する東北アジア 北朝鮮、中国そして日本


平岩俊司(関西学院大学)「北朝鮮の新体制と中国・日本」
高原明生(東京大学)  「中国政治外交の新情勢と日本」



▼ 20 年まえの冷戦終結後も、アジアには冷戦構造が残ったと言われた。そして、今や中国は世界第二位の経済大国になり、それに伴う軍事強化とりわけ海軍力の拡充には目を見張るものがある。一方、北朝鮮は軍事優先国家の道をさらに尖鋭化させ、「核」を外交の切り札にしてきた。そして共に次期指導者の名前が流れ、パワーバランスは日々変化し、その下に抑圧される市民、抵抗する市民がいる。

▼ こうした流れの中で、3 月に韓国駆逐艦沈没事件があり、9 月に尖閣諸島で中国漁船が日本の巡視船に衝突する事件が起きた。ロシア大統領の国後島訪問もあった。そして今また、大延坪島を北朝鮮が砲撃する事件が起きた。国会もマスコミも議論がにぎやかだ。だが、こうした動きはどこかおかしくないか。冷戦が熱戦に転化しかねない方向ではないか!?

▼ かつて冷戦を終結させたのは民衆だと言われたヨーロッパの経験、そのきっかけは何であったか思い起こそう。現実主義と称するパワーバランス論を超えて、市民的平和を軸に論理を考えるときではないか。第一線の研究者との率直な討論の中から、やや中長期的な展望を試みたい。


日時:  2010年12月17日(金) 18:30〜20:30

場所:  日本教育会館806号室

(東京都千代田区一ツ橋2−6−2)

TEL 道案内専用電話 03‐3230‐2833

参加費 一般1000円/学生500円

主催 市民文化フォーラム(共同代表 市野川容孝・ 内海愛子・小森陽一)
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2009年05月11日

市民文化フォーラム<2009年5・22研究シンポジウム>

「普遍的価値」と現代中国

報告者:高原明生(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
進 行:越智敏夫(政治学、市民文化フォーラム)

 昨年の北京オリンピックやチベット問題が契機となり、中国についてさかんに議論されるようになっている。また航空母艦の建造を公表し、北朝鮮をめぐる六者協議においても日米とは異なる意向を示すなど、中国の存在は国際政治においても非常に大きなものとなっている。こうしたなかで日本を含む西側諸国は中国との関係をどのように構築しようとしているのか。「自由、平等、人権」といった民主主義的価値を中国政府が軽視しているという批判が西側諸国から発せられる一方で、それらは単に特殊西欧的価値の押し付けだという反論が中国から返される。こうした対立は現代世界の何を表現しているのだろうか。そこで今回の研究シンポジウムでは現代中国政治の第一人者である高原明生さんに「普遍的価値」をめぐって現実に中国ではどのような議論がなされているのかお話ししていただく。この中国の問題について考えることは、同時に私たちの憲法や9条についても考えることにつながるはずである。フロアからの意見もふくめて生産的な討論の場としたい。


日 時:2009年5月22日(金)18:30〜20:30
会場  :日本教育会館 704会議室
     〒101-0003東京都千代田区一ツ橋2‐6‐2 

TEL 03‐3230‐2831
地下鉄各線神保町駅・竹橋駅・九段下駅より徒歩約5分
    地図URL http://www.jec.or.jp/koutuu/

    地下鉄神保町駅から徒歩3分
    
    参加費一般1000円 大学生500円 高校生以下無料

  問い合わせ:市民文化フォーラム     
  URL http://www.cc-forum.org/
  TEL 045-317-3176
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2006年08月05日

書評 無防備地域運動の源流――林茂夫が残したもの

 池田眞規、古川純、松尾高志、丸山重威、山内敏弘、吉池公史 編
 日本評論社刊(3200円)   

 イスラエル軍による連日のレバノン攻撃で、何百人、何千人もの無辜の市民が傷つき、家を失い、死に追いやられている報道を見て、怒りを覚えている人は多いだろう。イスラエル軍は、戦争に関する国際法規をまったく無視して攻撃を続けているように見える。
 戦争にもルールがある。ルール(国際法)を破れば罰せられる。しかし、多くの人は、ルール(法規)を暴力(武力)で破壊するのが戦争だ、戦争にルールなどはない、だから戦争にしてはいけないのだ、と考えていると思う。しかし、戦時であっても、赤十字の施設を攻撃してはいけないことは誰でも知っているだろう。また、先の15年戦争・太平洋戦争で、5700人が罪に問われ984人も死刑にされたB・C戦犯たちは、捕虜の虐待などジュネーブ条約違反を問われたことは多くの人が知っている。
 20世紀の二度にわたる世界戦争を経験して、戦争のルール(国際法)は大きく変わった。1949年のジュネーブ4条約を始め1977年のジュネーブ条約追加議定書などで、戦時に攻撃をしてはならない対象が大幅に拡大し、攻撃手段の制限も厳しくなったのである。そして、そこでは何よりも戦争に関する国際法規の理念が兵士の犠牲抑制から文民保護第一へと変わった。林茂夫氏は、とりわけジュネーブ条約第一追加議定書第59条に規定する「無防備地域」の規定に着目し、自治体が日ごろから条約にいう無防備地域の条件整備をしておけば、不幸にして戦争になった場合でも、住民は攻撃されない条件づくりを平和運動の軸に据えることを考え、想像力を発展させていった。そしてさらに、市民がそれぞれの自治体に無防備地域規定を基準にした平和条例や平和資料館の建設などを働きかける運動を展開され、市民による「戦争不参加宣言」へと発展させたのである。
 本書は一昨年(2006年)七月に亡くなった平和運動家林茂夫氏を追悼して編まれた論文集であり、林氏が後半生をかけて取り組まれた無防備地域運動についての論考と、林氏の生涯を通じての平和運動の中で交流があった幅広い人びとの論文・エッセーからなっている。本書のタイトルは「無防備地域運動の源流」となっているが、この無防備地域運動の「源流」は、私たちの毎年開催している1980年の「8・15集会」であったことも記憶されるべきであろう。また、林氏は旧国民文化会議が実行委員会方式で「8・15集会」を開催していた時代からのメンバーであったが、2001年に国民文化会議が解散し、私たち有志で「市民文化フォーラム」を立ち上げ、集会を続けようと決めてからはとりわけ熱心に事務局会議に参加されていた。
 林氏は、日ごろから「大きな運動というのは、それぞれが夢中になる自発的努力から始まるのです」と言っておられたが、林氏自身、無防備地域運動の虜になり、孤軍奮闘ともいえる状況の中で夢中になって全国の活動家や市民を啓発し、説得して歩かれた。そして、晩年には「自治体を拠点に内実の平和」を創ることに大きな夢と確信を持たれていたと思う。地域で、身の回りから平和をつくろうと考えている人びとに是非すすめたい一書である。
(広瀬勝芳、会員)
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2006年07月12日

2006年8・15集会 詳細決定!

8・15集会
<抵抗>の文化をつくりだす
「平和のための準備」Part3


 日時 2006年8月15日(火) 13:00〜16:30
 場所 日本教育会館 3F大ホール
     TEL03−3230−2831(千代田区一ツ橋2−6−2)

第1部 抵抗の文化をつくりだすために
 発題者1 高橋哲哉さん(東京大学大学院)
 発題者2 目取真俊さん(作家・沖縄在住)
 司会 市野川容孝さん(東京大学大学院)

第2部 戦争に向かう気分と平和をつくる文化
 パネリスト 
  松村真澄さん(ピースボート)
  綿井健陽さん(映画監督)
  KP(ラッパー・リユン&フニ)
  高橋哲哉さん
  目取真俊さん
 コーディネーター 市野川容孝さん

第3部 報告・交流会「実践としての市民文化」

憲法「改正」の国民投票が確実に迫っている。憲法「改正」のための外堀は、現在どんどんと埋められつつある。「国民投票法」作成のプロセスに見られるのは、この国における平和主義の危機である以上に、まさにデモクラシーそのものの危機である。しかし、私たちは国民投票そのものを恐れるべきだろか?あるいは私たちは今後どこに抵抗の文化の根拠を見出すべきなのだろうか? せめて私たちは、平和を最後のところで守ろうとする一人ひとりの人間の意志を信じつづけたい。そして、日常から、地域から、抵抗のための市民文化を再発見、再創造し、<政治>を自分たちの生命=生活の場にとりもどしたい。
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2006年05月11日

5・20研究シンポジウムのご案内

天皇制と憲法を語りつくす

(5・20研究シンポジウム)

 日時 2006年5月20日(土) 13:30〜16:30
 場所 日本教育会館704会議室
     TEL03−3230−2831(千代田区一ツ橋2−6−2)
 講師 針生一郎さん
 参加費 1000円

 結核によって学徒出陣を免れた針生一郎さんはその負い目から天皇制に心酔する。しかし19歳で敗戦を迎えたとき、日本人による残虐な暴力の連鎖が「神話と叙事詩」によって粉飾されていたことに愕然とし、針生さんは自らを恥じる。
 戦後つくられた昭和憲法は民主主義を謳いながらも、天皇制温存のために非民主的特徴をもたざるをえなかった。戦前回帰をめざす反動勢力から革命を志向する左翼勢力まで、占領軍も含めた無数のグループによる対立と混乱と談合の結果、天皇制を至上価値とする「無責任民主主義」体制が成立したのである。この体制下では市民の抵抗権と革命権さえも「暴力」として否定されるに至り、いまや暴力はヴァイオレンス小説と格闘マンガにしか存在していないと針生さんは嘆く。
 天皇制は戦後日本の何をゆがめてきたのか。永田町では女帝論を含めて改憲が語られている。憲法は市民が国家を縛るためのものではなく、国家が市民を縛るためのものだという倒錯した議論さえ出現するに至った。私たち市民は天皇制を語る資格を剥奪されているかのようでもある。いまこそ改憲阻止のために「戦後天皇制」の意味を冷静に議論することから始めたい。戦後市民政治の生き証人、針生一郎さんによる「語りつくし」シリーズ、第一弾。
 ぜひご参加ください!
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2006年02月05日

No.2 今年の8・15集会をふりかえって――個と連帯 (2005.10.10筆)

越智敏夫
(新潟国際情報大学・市民文化フォーラム運営委員)


 今年も8・15集会にはたくさんの人に集まっていただいた。参加された方々、また広報などに協力していただいた方々に深く感謝したい。「平和のための準備 PART2――連帯をとりもどす」と題して、全体の形式は昨年度から引き継ぎながらも、平和について新たな視点から考えようという企画となった。「私からの出発:<個>の存在証明」、「国境をこえる連帯;平和コミュニティの可能性」という二部構成にしたのは、現代社会において個人が個人として生きていくことがいかに困難であるかということを再確認したうえで、その個人の苦境を救うための横のつながりを模索するという、単純ではあるけれど非常に困難な道すじを考えるためだった。

 第一部、第二部ともにパネリストの真剣な発言によって現場からの熱い報告と冷静な分析や批判がうまく融合した内容になったのではないかと思う。しかし会場で構想されたような「個の存在を前提とした連帯」は現実では常に困難に直面する。あたりまえのようなことかもしれないが、この古くて新しい命題について観念的にはプラトンの昔から形をかえて延々と語られてきた。この点に関連して当の8・15集会においても個人的には非常に印象に残ることがあった。小さなことかもしれないが、大きな問題を考えるためのきっかけにはなるかもしれない。そのことについて考えてみたい。

 二部構成の前に基調講演として日高六郎さんが話をした。熱が入り当初の予定をこえて話された。最後は「こんな時代だからこそやるべきことはあるはずです。その行動について話そうと思ったけれど時間になりましたので」と話を打ち切った。そのとき「その何をすべきかについて話してください」という声が会場からあがり、「もっと日高さんの話が聞きたい」と同調する他の方の声も重なった。「あとの予定もあるので」と司会が進行しようとしたら、「時間、時間というのはファシズムです」という意見が出た。その場では司会が日高さんの体調などを説明しておさまった。こういうことは集会ではよくあることだ。講師が時間を超えて話したり、会場から声(場合によっては野次)があがったり。しかしあの場ではとても強い二つの違和感をもった。

 まず第一は時間を守るのがファシズムだということについて。こちらで予定していた進行を乱すなと言っているのではない。内容によっては、また他の発題者の同意などを得れば、そういう変更は「あり」だと思う。しかし集会は限られた時間のなかでおこなわれる。誰かの話を延ばすということは他の誰かの時間を削るということだ。その誰かの話を聞きたくて来た人もいるかもしれない。自分が聞きたい人の話をもっと聞かせろと言うことは、他の人の要望を否定することになる。にもかかわらず自分の要求だけを「反ファシズム」を根拠に通そうとする。自分の嫌いなことを「ファシズム」だと非難しつつ、自分の立場は「デモクラシー」だとするこうした行動パターンが戦後日本の市民運動につけた傷跡は大きいのではないか。

 第二に、こちらのほうがより深刻だと思うが、「何をすべきか教えてほしい」という意見について。基調講演後の第一部の司会として最初に話したように、会場で書いてもらったアンケートについては運営委員全員がかなり時間をかけて読んだうえで、企画について討議している。アンケートはすべて貴重な意見である。その昨年度のアンケートのなかには「何をすべきかもっと具体的に教えるべきだ」というものが散見された。そして今年の日高さんの基調講演に対してもほぼ同様な要望が会場から出された。
 しかしこうした市民集会は何らかの答え、あるいは唯一の行動指針を提示するための場なのだろうか。たとえば日高さんが何か具体的な行動を示せば、みんなそれに従うべきなのだろうか。「えらい大先生」が「本当の答え」を指し示し、他の一般市民にはそれを受容することだけが求められるとすれば、それは悪夢である。市民運動はそういう「上意下達」式の意思伝達を基本原理とするものとは異なるもののはずだ。

 石原慎太郎が東京都民の最大多数から支持を得ているという現下の状況で何をすれば良いのか。そのための絶対的な解答などあるはずがない。あるのなら、とっくにみんなやっている。それがないからこそ市民各自がそれぞれの場で何をすべきか考え、そのうえで各自が行動する。その先に何らかの共同性を目指すしかないだろう。その先の地点にしか「個の存在を前提とした連帯」はないと私は考えている。
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